2009年4月8日水曜日

パリの思い出、ああ、パリが懐かしい!



私の机のすぐ右側にデッサン画が掛かっている。

パリの風景だ。6区あたりだと思う。
私の友人の画家が描いたものだ。

このデッサンを眺めていると、パリにいた頃を想い出す。
最初、バスティーユ近くの12区に住んでいた。
でも長く通った学校が5区にあったので、5区、6区あたりには馴染みがあり
とても好きな界隈だった。

記憶と結びついたこのような絵画をみると当時のことがまざまざと脳裏に蘇る。
リュクサンブール公園の前のカフェの日がな一日座って、
道行く人を眺めるのが好きだった。
あの頃は人間が好きだったのだろうか。いくら見ていても飽きることを知らなかった。

フランスにはいろんな人種が住んでいるからなんだろうけれど、
よく他人からものを訊かれた。
例えば私が京都へ行って、外国人を捕まえて「南禅寺に行きたいんですが・・・」と訊くようなものだ。
私も最初は、なんで外国人の私に訊くんだ、って不思議だったが、
そのうち、こんなもんなんだ、と考えを改めた。

フランスでの出来事を思い出すままに少し書いてみると、
私は一時期、カナダ人と英語と日本語の交換授業をしていた。
そのカナダ人(女性)は日本人男性と結婚していて、日本語の上達を目的としていた。
私は、英語がからっきしダメなので、何とか少しでも喋る環境を求めていた。

そんなわけで週に何度か交換授業をしていたのだが、あるとき日本人のことが話題になった。
彼女は、日本人は議論ができない、という。

カナダにいた頃、ホームパーティをよく催したらしいのだが、
そこに来る日本人は議論ができなくて困ったというのだ。
あちら(カナダ)では「議論」とは一種の頭の体操で、
論理をどのように展開して相手を論理的の負かすかというものらしい。

知的ゲームでありその過程を楽しむらしいのだが、
こと日本人にいたっては、すぐ感情的になり怒り出す人も多いという。
そうなるとパーティの雰囲気も気まずくなる、といっていた。

原因は明らかに教育のやり方の問題だなって、私は思った。
現在の学校教育はどのようになされているのか詳しいことは分からないが、
少なくても、私が日本で受けてきた教育は、他人と論を戦わせるなんてものは一つもなかった。
ディベートなんて学校ではやったこともなかった。
いいか悪いかは別として、世界が狭くなっていく現実を考えると、
彼女の指摘に耳を傾ける価値はあるだろうと思う。

このようなことを書き出すと限がないので、今日はこの辺で。


ボンジュール!パリのまち

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