2009年2月28日土曜日

昼食で悦に游ぶ

今日のお昼は、『うどん』(それも冷凍のうどんをお湯で戻したもの)と『山の芋のすりおろしたもの』(とろろ、と呼んでいる)、そして『焼き椎茸』を食べた。

うどんには生ネギ、白菜、椎茸をいれた。
とろろは卵と酢、醤油で薄く味付けをした。
焼き椎茸は塩コショウを軽くしてバターを上に乗せオーブンで焼いた。
こう書くと別段、特に何の変哲もない昼食メニューだけれど、どういうわけか、半端ではない満足感が私に訪れたのだ。
気持ちがリラックスして、「随喜の涙を流す」という言い回しがあるが、心から感謝の念が溢れ出てくるのを感じた。あまりにも感謝の気持ちで嬉しかったので、思わず仏壇と神棚の前で手を合わせた。
近くに誰かいれば「あほかいな、こいつは」って思われたかもしれない。

私が摂った食材の中に、何か脳に快楽を感じさせるホルモンを増産させる物質でも含まれていたのだろうか。

理由は何であれ“至福”の食後を過ごすことができた。
生きているといろんなことが起こるものだ。

2009年2月27日金曜日

monochromeの意味を考える

今朝は雪化粧だった。
起きたときはすでに霙に変わっていた。それが雨に変わり、白い世界がモノクロに変わりつつある。

『モノクロ』って書いて、あれって疑問が湧いた。『monochrome』って「単色の」って意味だよね。
『mono』って接頭辞で「一つの」って意味を表すはずだよなあ。

白黒写真や白黒映画のことをモノクロってよぶが、考えてみれば不思議だ。単純に『白』と『黒』とを数えれば2色のはずである。推測でしかないが『カラー』ではないという意味合いで『モノクロ』とよばれたのかな。『白』(厳密には『白』ではないが)何も処理をしないと『白っぽく』なりそこに単色の細工を施すので『mono』と考えられたのだろうか。
できあがった結果を見れば『黒』と『白』の世界だから『bi』をつかって『bichrome』と考える人はいなかったのだろうか。

このようなことを考えても何の役にも立たないことはよく分かっているが、自分自身の中ではけっこう面白がっている私がいる。大げさに言えば『人間がどのように世界を考えているが』に繋がることだと思う。

雪景色が雨によってもとの風景に戻りつつあるのをぼんやりと眺めながらの雑念(一考察?)でした。

2009年2月26日木曜日

洗濯日和、とまではいかないが・・・

今日は朝から少し日が射していた。ラッキー!

ここしばらくはずっとぐずついていたので即、洗濯と決めた。
以前、テレビで仕入れた情報、すなわち洗濯前に洗濯物を30分洗剤に浸けておく。
こうすることによって洗濯物の黄ばみを防ぐらしい。
確かに洗濯をしてもしばらく袖を通さないと、白いものは特に首回りが黄色く変色してしまう。
30分の浸けおき洗いをしても必ずしも黄ばまないわけではないが、少しはマシなのかもしれない。
洗濯回数を重ねるごとに効果を発揮することもあるだろうし。

今日は日が射しているといってもなんとなく心もとない光だ。
一日では乾かないだろうな、と思いながらも、雨降り、曇天よりはいい。それに下着の換えがもうあまりないのだ。

今日の花粉情報は「非常に多い」。花粉症の私にとっては気にかかるところだが洗濯物は日に当てた方が気持ちがいい。マスクのお世話になりながら干した。

日が翳り始めた頃、取り入れたがやはり完全に乾いていない。あとは屋内で干すしかない。
明日はまた雨の予報。ひょっとしたら雪になるかもしれないそうだ。
貴重な晴れ間を利用させてもらった。

このブログでも『春近し』と書いたけれど、まだまだ寒さは続きそうだ。

まあ、三寒四温というし自然の営みに任せるしかない。

2009年2月25日水曜日

兆候は春近し

ここしばらくぐずついた天気が続いている。
このあいだ、お天気お姉さんが「季節の変わり目はお天気がぐずつきます」と言っていたので、そろそろ“春近し”ということなのか。
2月13日には“春一番”も吹いた。
昔は春が一番好きな季節だった。
花粉症を発症してからは一番好きな季節を変えざるを得なくなったが、木々が芽吹き、風景や空気が明るくなってくる。梅や桜も花を咲かせる。
『自然は動いているんだ』と実感させられる。自然の営みを目の前にすると私は感動してしまう。
そのサイクルの中に私たち一人ひとりが存在しているという当たり前の不思議。私はカチカチの環境保護主義者ではないが、この自然の摂理、環境は守っていかないと、という気持ちは自然と生じてくる。私たちは『自然の恵み』を受けて生きている。楽しく健康に生きていくためにも自然的環境に優しい生き方をしたいと考えている。

2009年2月24日火曜日

大阪 as rain.

今日は久しぶりに大阪に出た。
経済危機、不景気のせいか以前より街往く人が少ないような気がしたが、気のせいだろうか。
天気も悪かったので何だか町にも活気があまりなかったようにも思う。
私は小さな田舎町に住んでいるので、勝手な思いだが、一応、都会と呼ばれる町に出かけたときぐらいは活気があってほしいと願っている。
大阪にとってもいろんな事情があるはずだから、私の勝手な思いにいちいち応えるのは大阪にとってはえらく迷惑な話だろう。
でも大阪は私が子供も頃から、関西では一番大きな町だった。大阪に出かけたときはいつも活気に溢れていたような思い出もある。

いやあ、何だか話が暗くなってきたなあ。
学生の頃、『こころの灯火』というラジオ番組(だったと思うが)から「暗い暗いというよりも心に火をともしましょう」といつも流れていたのを思い出した。
まあ、暗くなっても問題は解決しないので、「火をともしましょう」。

2009年2月23日月曜日

春近し 私は 部屋の模様替え

いま部屋の模様替えをしている。
模様替えといっても大袈裟なものではなく、当初は座椅子生活から椅子に替えようとしていただけなのだが。

座椅子でパソコンを打っていると腰や肩、腕が痛くなってもう耐えられないなと感じたからである。
私の部屋は狭い。しかし必要なものは結構多いので、新しく入れる椅子とテーブルの空間を空けるのが、これまた大変な作業なのだ。
椅子とテ-ブルのスペースを確保して設置したまではいいが、そのスペースにあったものが片付かない。それで、動かせるものはなんとかスペースを作り出し移動したりしているのだが、部屋全体の模様替えに踏み切らないと「にっちもさっちもいかない」状態になってしまった。

足の踏み場もなくなった部屋を前にして茫然自失状態に陥っている。いらないものはパッパッと棄てているのだが、山と化した“もの”は一向に減る気配がない。
出るのは溜息・・・  しかし一つ一つ片付けていかないと仕方ないなあ。

この模様替えを「きっしょ(共通語では“きっかけ”)」に春を迎えることになる。新しい気持ちで春からの生活をスタートできるように早く片付けなくっちゃ!

2009年2月22日日曜日

野菜と頭の体操

最近、知り合いの農家の人にたくさん野菜をいただいた。

厚生労働省も「大人一人一日350g」の野菜摂取を勧めている。

別に厚労省の勧めで野菜を食べているわけではないが、昨日は白菜。今日は大きな丸大根をマグロのあらで煮付けた。
私の住んでいるあたりでは「煮付ける」とはあまり使わず「炊く」というが。

マグロのあらはちょっと臭みがあるかな、と思い生姜を入れ、料理にバラエティを持たせるために“はたけしめじ”を付け足した。
“だし”はもっぱら以前テレビから仕入れた「野崎さんの“はちいちだし”」に決めている。実にシンプルで美味しく仕上がる。
私のような料理の素人でも失敗がない“だし”を作れるのが嬉しい。
自画自賛ではないが、今日の「マグロ大根」もなかなかのものだったと思う。

マグロのあら=200円。“はたけしめじ”は使いさしのものがあったので今日の主菜は約200円で収まった。副菜は「冷奴とメカブ」、もらったカブで作っておいた「酢漬け」。それに第三のビールと呼ばれる発泡酒1缶。

まだ野菜がたくさん残っているのでどんな料理にするか頭の体操にもなる。

〇〇さん、頭の体操にまでなっています、ほんとうにたくさんの野菜をありがとうございました。

2009年2月21日土曜日

スギ花粉の季節

今日は朝から晴れ。
ここ数日、曇よりした天候が続き雨や雪も降ったりしてたから、気分がいい。
日差しに誘われて外へ出てみた。風は少し冷たいが何となく“春近し”と感じさせるものがある。

気持ちは爽やかだが、私は「花粉症」である。おそらく「杉」と「ひのき」の花粉に反応するようだ。
5月の連休明けまで影響が出る。

花粉症は私が30歳になった途端に発症した。当時は東京に住んでいたので、「花粉+大気汚染」が原因だと私は考えている。
それまではまったくなんともなく、知り合いの花粉症の人の、花粉を防ぐ格好をみて「そこまでしなくても・・・」とよく思っていた。が、一旦、自分自身が花粉症になるとこれが本当に辛い。目が痒いのは何とか我慢ができるが、鼻が詰まって鼻呼吸ができない。まだ起きているうちは何とかなるが、夜、眠れないのだ。

一時期、日本を離れて南仏にいたことがあるが、このときもスギ(糸杉)の花粉に苦しめられた。日本での症状と異なっていたのは、特に「目」だ。鏡を見た途端びっくりした記憶がある。鏡の中の私は、なんだか「魚の目」のように眼球と角膜の間に水がたまっているように見えるのだ。
知り合いのフランス人にアレルギー専門病院を教えてもらい受診した。そこの医者は「もし来年もここに留まるのなら減感作療法を受けたほうがいい」と勧めてくれた。
しかし私はパリに移ったので、“スギ生息の北限を越えた”と高を括っていたら、数年後徐々にプラタナスに反応し始めた。プラタナスの花粉はスギ花粉に似ているという話を聞いたが、検証したわけではないのではっきりしたことは分からない。

日本に帰ってきてからはお決まりの「花粉症」のままである。しかしここ何年も「花粉症の季節」の少し前から医者にかかり薬を毎日服用している。今年も2月の始めから飲んでいる。それと外出時には必ず“マスク”。帰宅時にはうがいを励行している。これらのことが効を奏しているのか、お蔭様で症状は軽くてすんでいる。

しかし、暖かくなり麗らかな気候を楽しみたいときにいつも“マスク”。これは正直、鬱陶しい。
日本で、花といえば“桜”。桜の季節もマスクと一緒というのもなあ。

このときばかりは花粉症でない人が羨ましい。

2009年2月20日金曜日

昼食は・・・(2)

朝の続き。

結局、ピザは食べることができた―っ。ラッキー!
お昼前から雨が降りだし、かなり降っていたので客足に影響したのでは、と思う。

略図はあったのだが、一向に何処にあるのか分からない。途中で2回もお店の場所を地元の人に聞いてやっとたどり着いた。田舎の真ん中にポツンと一軒あった。田舎にしては瀟洒な感じの内装だった。

薪窯400℃で焼いたピザということだ。焼き加減もよかったし、生地は美味しかった。
二人で行ったのだが、それぞれ別のものを頼み分け合った。私はシチリアーノを注文した。それなりに美味しいと思ったが、同行の人は「ケッパー」の味が気に入らなかったようだ。それにオリーブもあまり好みではないというので・・・
まあ、トッピングの味に関してはそれぞれの好みだから・・・というオチになってしまいました(汗)。

すぎ花粉の飛散が終わった頃に、この店のベランダで「クワトロ・フォルマッジ」でもワイン片手に食べてみたいと思っている、もちろん私は運転しませんので。

昼食は・・・

昨晩からまた雪になった。今週になって2回目だ。
昔に比べると随分雪も降らなくなり一度に降る量も少なくなった。
今朝はもうほとんど雪は残っていず、昨夜、ほんのりと雪化粧していたのが嘘のようだ。
周りを見渡すとそれでも隣家の植木鉢の上に名残惜しそうに融けずにいる。それも「うっすら」ではない。かなりの厚みをもって残っている。
植木鉢に雪の花を咲かせ、見る者を楽しませてくれるように。
「ありがとう」と声をかけてみたが返事はない。

今日のお昼は、知る人ぞ知るという感じの「ピザ」屋さんに行こうと思っている。
以前、友達も勧めてくれていた店だ。予約を取ったほうがいいとのアドバイスだっだので、電話を入れたが開店直後の予約しか受け入れてないという返事だった。そしてピザ生地がなくなった時点で閉店します、と告げられた。
私が訪れる予定は午後2時ごろ。さあ、はたしてお店は開いているかどうか。
評判のピザを食することができればラッキー。
また夜に結果報告。

2009年2月19日木曜日

お蔭様

抹香くさい話になるかもしれないが、父が亡くなってから2年近くになる。
それから毎朝、お線香に火をつけて、仏壇に向かって「今日も元気に生かしていただいてありがとうございます」と手を合わせる。
感謝の気持ちで手を合わせていると、なんだか気持ちも落ち着いてくる。

五木寛之が、鬱で苦しんでいたとき『感謝ノート』をつくり、毎日感謝した事柄をそのノートに綴っていったら「鬱」から抜け出すことができた、と何かで書いていた。

生きているといろんなことがありへこむことも多い。
私は『感謝ノート』はつくっていないが、毎朝静かな気持ちで仏壇に手を合わせ“お蔭様”で・・・と感謝のことばを唱えている。
『感謝ノート』と同じ効用があるのか、本当に不思議に心が安らぐ。
一日を感謝の気持ちでスタートすれば幸せな日を送れる「きっかけ』になっているような気がする、少なくても私は。

2009年2月16日月曜日

雪見風呂

数日前に“春一番”が吹いたのに、今日は午後になってチラホラ雪が舞いだした。



夕方から近くの温泉に出かけた。

温泉に着いた頃には一時雪は止んでいた。



温泉の湯船?で極楽気分を味わっていたら、突然、隣にいたおじさんに声をかけられた。

「ちょっと、見てごらんなさい。雪が降ってきましたよ。風流ですなあ!」



そのときは屋内の湯船にいたのだが、窓の外は再び雪の花が・・・



ちょっと露天を楽しみながら、雪に降られながらの雪見風呂。



乙なものですね。



そんなに降雪量も多くないこの町で、雪に降られて露天風呂・・・



これも幸せなんだろうな~