2009年3月26日木曜日

高齢化と介護のあり方、死に方




私の家の近隣にはかなり高齢な方が何人か住んでいる。
全員ではないがそのうちの数人は独居生活だ。すなわち独居老人である。
子供さんたちは自立して他所に居を構えているので同居していない。
時々は親の様子を見るために戻ってきてはいるようだが、
当たり前だが一緒にいる時間よりも離れている時間のほうが長い。

先日も、とある家の前に救急車が停まっていた。

そんな時私はドキリとする。私の父も、私が朝目覚め父の様子を見に行ったところ、
息をしていなかった。身体はまだ温かかった。
たまたま私は消防署で市民救命士講習を受講していたので、
救急車を呼び、父親に人工呼吸、心臓マッサージを施した。
だが結局、帰らぬ人となってしまった。

そんな経験もあるので、救急車が何処かの家の前に停まっていたら
一種の軽いトラウマのようなものを感じるのだ。

私はこの地で生まれ高校まで過ごした。
その後他所に転居したがまた当地に戻ってきた。

近隣の人たちはほとんど昔からの顔なじみだ。
かなり高齢な人だって30~40代の頃を知っている。
時の無常を感じてしまう。

国の政策で介護は自宅でしなければならない場合が多い。
老老介護という言葉も生まれた。介護する方が倒れることも多い。

私は施設のようなところできちんと専門教育を受けた人たちから介護をうけられる制度を
充実させた方がいいのではないかと思っている。
また財源がないという話しにすりかえられる。

しかし今後ますます老人が増え続け、若者が減っていけば
社会保障制度をこのままにしておくことはできないだろう。
そのために介護保険制度をつくりヘルパーの養成もしていると反論されるかもしれない。

でも本当に今の制度でいいのですかと私はあえて言いたい。
健常者なら若いときは元気で活力もある。そしてその活力がいつまでも続くと錯覚している。
年を取らないと分からないことも多い。
人間に特別な尊厳なんてないのかもしれない。
でもそれなりに人生を終わらせたいと誰もが思っているのではないだろうか。

そのためにも、如何に死んでいくかをもっとみんなが考えた方がいいのではないかと私は思っている。


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