2009年3月20日金曜日

彼岸の中日、春分の日に思う

3月20日春分の日、彼岸の中日である。
今日はお昼頃からはいい天気になると天気予報では伝えていたが一向に回復の兆しがない。
気温は徐々に下がりだし、今までの初夏の陽気が一転して冬に逆戻りしたようだ。

それでもお彼岸のあいだにお墓参りをしようと決めていたので菩提寺まで出かけていった。
ようやくお日様も顔を覗かせ始めたがとにかく風が強く冷たい。

墓石を洗い、付近を掃除し花を手向ける。
風のため蝋燭になかなか火が点かない上すぐ消えてしまう。お線香を立てて手を合わせる。

「千の風になって」という歌が流行って石材屋が困ったという話を思い出した。
お墓には故人がいない、という歌詞だったように記憶している。
俗な言い方をすればお寺や石材屋は商売上がったりだよな、それじゃ。

でも私もなんだか別にお墓を作って必ずしもそこに祭る必要性は
ないのではないかと考えるようになった。
お墓を作りお参りをすることは当たり前だとあまり疑問も持たなかったが、
父が亡くなったとき、お寺さんにお金のことばかり言われてうんざりしてからだ。

私は故人に対しての気持ちが一番大事だと考えていた。
精神的に苦しいとき魂の救済を願いながら仏教に関する本(専門書ではない)を読んだのも、
釈迦の教えが何か示唆を与えてくれるのではないかという気持ちからだ。

しかし現実(制度としての寺)は「精神」からかけ離れている、と私は痛いほど感じたのだ。
菩提寺は檀家が支えるのは分かる。
しかしお金のことばかり言われると、どこに釈迦の精神があるのか、
と感じないほうがおかしいのではないか。

今後、形式や慣習に囚われない人が多くなれば冠婚葬祭も変わっていくのではないだろうか。
白洲次郎も「葬式無用、戒名不用」と言ったように
私が死んでも大枚をはたいて葬式をしてもらわなくてもいいと思っている。



お坊さんが困る仏教の話

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